童門冬二氏の文章からの抜き書きです。

肥後熊本藩七代藩主 細川重賢が「時習館」という学校をたて、初代学長に任じた秋山玉山に対して「ここの教育は“木づくり”だと考えてほしい」と言う。「学ぶ者を苗木と考えれば、肥料の与え方も育て方も違うはず。枝の弱い木には添え木も必要、生命力が旺盛で次々枝葉を繁茂させる木は時々剪定が必要だろう。これが“木くばり”だ」と。

そして、「この学校では、木くばりをした後に“木づくり”をしてほしい。家庭の躾けや学校の教育というのは、こちらの岸からあちらの社会という岸に渡すこと。得てして教師は橋を架けることばかりに熱中するが、こちら側にいる子どもそれぞれの位置(能力)はさまざまで、上流にいる子どもには、せせらぎを見つけ、裾をめくって渡るすべを教えればよい。中流には橋が要るかもしれない。しかし、下流では川幅も広く架橋も困難だろう。なので、船で渡ることを教えるべきで、その船を操ることも教えてやらねばならない“とも。

重賢は「肥後の鳳凰」と呼ばれた名君だそうで、エピソードには事欠かない。