令和3年2月1日付『週刊 福祉新聞』の第一面に、「児童養護施設 地域分散化へ『加速度プラン』」の見出しで記事がありました。それによると、厚労省は、児童養護施設の地域分散化を財政的にいっそう後押しするとのことでした。

児童福祉界にとっては明るい話なのですが、私たち児心施設は若干「蚊帳の外」の感がいなめません。記事にも「ケアニーズの高い子どもの生活の場を除き、すべて小規模かつ地域分散化させる計画を策定する…」とあります。児心施設であるあゆみの丘は、「~を除き」に該当するからです。

地域分散化には、施設の小規模化が必要条件です。施設の小規模化が求められるようになった理由はここでは述べませんが、ひと言でいうと、家庭的な養育への志向です。別の言い方をすると、施設っぽさからの脱却です。なぜなら、子どもの養育にとって、施設っぽさは悪だからです。

家庭的な養育がなぜ望ましいのか、同じく、ここでは述べませんが、家庭的養育にある「養育の一貫性」という要素に関連して、以下に、日々のあいさつをテーマに考えてみたいと思います。

※この記事は、あゆみの丘の職員向け、または、将来、施設職員をめざす人向けに書かれています。

 

「こんにちは」ってヘン?? ~ 一挨一拶(いちあいいっさつ)をめざして

施設長 いのうえ

 

〇職員さんに知っておいてもらいたいこと

「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」というあいさつについてです。今日は「あいさつは大切」という誰もが知っていることを、施設職員の教養として、さらに掘り下げて考えてみたいと思います。

 

「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」———さて、問題です。あゆみの丘の子どもと職員さんの間で交わされるこれらのあいさつですが、親との間では使わないあいさつがあります。それはどれでしょう?

 

・・・そう、親には「こんにちは」「こんばんは」は言いませんね。

 

一般家庭では、1日のはじめのあいさつとして「おはよう」と言うでしょう。仮にシフトが早番か何かで朝会うことができなくて、夕方にその日初めて会ったとしても、「こんばんは」とは親子で言いませんね。代わりに「ただいま」とか「おかえり」と言うのでしょう。

 

〇住み込みで勤務すること

私は前職では施設に住み込みで働いていました。やはり、子どもたちと「おはよう」は交わしましたが、「こんにちは」「こんばんは」は、自分が担当をする子どもたちとは、ただの一度も交わしませんでしたね。たまに公休があり、庭いじりをしていると子どもたちから「こんにちは」と言われたことがありましたが、これは、よそよそしさと現実の関係のズレを楽しむギャグとして目的されたものでした。この感覚、わかりますか?大げさに例えるなら、親子で「ごきげんよう」や「おばんでやんす」と言い合うような感じに近いです。

 

〇「こんにちは」だけの関係性

ひるがえって、あゆみの丘では、私は子どもたちから「こんにちは」と言ってもらえますし、私もそう返します。でも、「こんにちは」は、朝会えていないからなんですね。私が出勤する8:30には、子どもたちは登校してしまっています[i]。たまに土日に顔を出した際、チャンスがあるくらいです。

一方で、あゆみの丘で「こんばんは」がほとんど言われないのは、そもそも夜だけを限定して子どもに会うシチュエーションがないからです。私も夜に生活棟に行くことはありますが、日中に子どもに会っていれば「こんばんは」とは言われません。もし子どもたちから素朴に「こんばんは」と言われたとしたら、子どもたちに会えていない日中の自分の動きを反省しなければと思っています。

 

〇通時的な一貫性ということ

前職での話を付け加えると、「いってらっしゃい」と「おかえり」は言う人が同じでしたし、もっと言うと敷地内の学校へ一緒に登校/通勤していたので、寮を出る時は子どもたちと「いってきます」を、寮に戻った時は「ただいま」を一緒になって言うことがほとんどでした。

このような勤務形態はまれですが、一般家庭での「いってらっしゃい」「おかえり」/「いってきます」「ただいま」の時間的連続性(通時性)と養育者の一貫性を際立たたせる好例ではないでしょうか。

 

あゆみの丘は交替勤務制なので、朝登校時に子どもを送り出す職員さんと、下校時に迎える職員さんが違うのはよくあることです。このことで職員さんを責める気はありません。勤務制度上仕方ないことです。しかし大切なのは、この事態に無関心にとどまることや制度のせいだと開き直ることなく、一般家庭と施設生活との間で生じているあいさつのニュアンスの落差を知っておくことです。

確かに、社会スキルとして、子どもにあいさつを身につけさせることは私たち施設職員の重大な関心事です。しかし、制度上やむを得ずであっても、養育(者)の一貫性が損なわれた状態で、いわば非社会的なあいさつの様式を子どもに強いていることは、施設職員の教養として知っておかなければなりません。

 

〇相手の内面を推し量ること

ペアレンティング・プログラム等、支援の一貫性を担保するための制度上の工夫はすでに凝らしているところですが、職員さんにはこれに加え、通時的に子どもに寄り添う想像力・共感力を身につけていただきたいと考えています。つまり、「おはよう」という時は前の晩の「おやすみ」に想いを馳せ、「おかえり」は「いってらっしゃい」との連続性を踏まえたものにすることです。自ずと職員引継ぎと情報共有の意味が深まることでしょう。

元々、「挨拶(あいさつ)」の語源は「一挨一拶(いちあいいっさつ)」という禅問答から来ているそうです。禅の師匠と弟子が互いに声がけをし、その応答のありようから悟りの深浅を計るものだそうです[ii]。難しいことはわかりませんが、ようするに、言葉の表面上の意味を越えた内的世界や内的成長を洞察するためのやりとりが本来の「挨拶」なのでした。

 

一挨一拶(いちあいいっさつ)———私たち施設職員にとって、当たらずとも遠からずではないでしょうか。子どもの「ただいま!」のあいさつから、学校での悲喜こもごもを読み取り、「おかえり!」から子どもを慈しむ想いを伝えたいものです。

 

[i] 今は実子の登校準備があるので叶いませんが、実子の手が離れたら「おはよう」と言える時間に出勤したいと考えています。

[ii] 例えば、通りすがりに交わす会話のやりとりの形で行われる:師匠「庭はきれいになったか?」、弟子〈まだまだでございます〉というやりとりは、庭が心のメタファーになっている、など。つまり、一挨一拶は、言葉を越えて含意される何かを推し量るものである。