そう!不惑に至った年のことでした。同年代の同僚との話の中で、「(定年まで)あとまだ、20年もあるんやなぁ」と口走ったところ、彼は、間髪を入れず「いや、もう、20年しかないのやで!」と返してきました。思えば、それからの20年の速かったこと。そして、20年もあった割に、満足いく歳月を送ったとも言えません。きっと、彼の的確な忠告?を生かせずに、「まだ…感覚」からの脱皮が不十分であったからでしょう。

さて、「まだ-もう話」といえば、『まだいけるは、もう危ない!』という交通標語が頭に浮かびます。一昨年の夏、74人もの犠牲者を出した、広島市安佐南区の土砂災害のことで、当時消防士をされていた方が、つい先頃、被災者144人の証言(体験談)を冊子にまとめられたと聞きました。その方は豪雨の中、やがて町を呑みこむことになる川に出向いて、水の量を点検されたそうです。そして、危険水量までは、まだ相当の開きがあることを確かめ、そのうち雨も落ち着くだろうと考えたといいます。しかし、無情にもその後一時間余りのうちに、あの想像を絶する土石流が襲ってくることになったのです。

この場合の判断の良し悪しなど問えるものではありません。ただ、『まだいけるは、もう危ない!』という箴言には、随所随所で重みを感じさせられます。そう言えば、「これくらいのこと」と思って見過ごした子どもの言動が、後々大きなトラブルやアクシデントに結びつくことになった、これまでの苦い経験にも何か通じるものがあるように思います。