※本エッセイは、令和4年度「法人新任職員研修」で使った資料です。子どもの施設で働く人、または将来、子どもの施設で働きたい人に向けて書いています。ちょっと長めの文章ですが、気さくな文体で書いていますので、寝転がって爪でも嚙みながら、ごゆるりと読んでください。

 

題:「ありがとう」が言ってほしくて~おやつオジサン2年間の歩み~

おやつ、それは子どもにとって大きなものです。

「脳内メーカー」という占いがありますが、きっと子どもの頭の中で「おやつ」はかなりの割合を占めるのではないでしょうか。

ちなみに、私の脳内メーカーの結果はこれ。

ちょっとみっともない脳内になってしまいました。言い訳ですが、これは名前を打ち込むだけで判定されるので、こう示される根拠はないはずです。「脳内メーカー」で検索すると、「占いではなくジョークツール」と書いてありますし。グーグル検索の履歴からAIが判定しているとか、まさかないでしょう。 ←必死に弁解(・。・;

みっともないので言い訳はこれくらいにして、本題に戻ります。子どもにおける、おやつの大切さ、です。

特に施設生活をする子どもたちとっては、おやつの自由度が、施設生活や集団生活の自由度と相関関係にあるのではないでしょうか。

つまり、自由に買いに行ける子どもは取り立てて不満はないでしょうが、職員さんに買ってきてもらうという立場だと、受け身なわけですから、本当は「あれが食べたい、これが食べたい」という気持ちが出てくるはずです。

それに、おやつ歴の短い小さな子どもであれば、施設で出されるおやつがその子の人生全体の「おやつ観」を形成するわけです。その子が大人になって、わが子におやつを出すときに、施設で出されていたおやつが出されるかもしれないことを考えると、おやつ購入係の役割は考えられている以上に大きいと言わざるをえません。

このように、おやつが大切なのはわかっていたのです。なので私は深く考えることなく、園の「おやつ係」を引き受けました。結果として、令和2年度から令和3年度末まで、2年間「施設長、兼、おやつ係」の役割をこなしました。

でも、今ここで初めて、「おやつ係は結構大変でした!」と言います。何が大変だったか、改めて整理します。

①おやつの量と、毎日確実に出さなければならないというプレッシャー

②子どもの好み

ざっくりと言うと、これら2つが大変でした。それぞれ詳しく説明します。

 

①の大変さについて

私にはわが子が2人おりますので、おやつ購入の経験は当然あります。でも、2人におやつを買うのと、40数名の子ども(当園は定員45名)におやつを買うのでは、わけが違いました。

例えばこれ、1人の子どもの4日分のおやつです。

写真:4日分のおやつ/1人

ですが、下の写真を見てください。42人分あります。

写真:4日分のおやつ/42人分

②の大変さと重なってくるのですが、甘いものと塩味系のスナック菓子をバランスよく出そうとするとこうなります。スナック菓子はかなりかさ張ります。運搬の便を優先しておやつの品を選ぶということは、子どもの希望を考えると好ましくありません。

私はこう見えても体力には結構自信があるので、運搬におけるボリュームや重さは問題ではありませんでした。

まず困ったのはおやつの置き場所です。おやつ係になった当初は、ひと月分をまとめて購入するということをしていたので、自家用車に1回では載せきれませんでした。したがって、店を往復するか、日を分けて買い物をしました。店を往復するのはレジに繰り返し並ぶことになるので、レジ打ちさんへのストーカー行為と勘違いされないか心配でした。

あと、置き場所が必要なので、自宅の1室が「おやつ倉庫」と化しました。これはわが子からのブーイングを抑えきれず、結局施設の1室を「おやつ部屋」という名前に変えてストックすることにしました。諸事情によりその部屋が「おやつ部屋」としては使えなくなり、車に載せられる量と、適度な置き場所で済むという点から、数日分ずつ購入するという戦略にシフトしていきました。

実は、おやつの量に関して、何よりも問題だったのはレジに並ぶときです(註:以下に挙げる例は、本稿で登場するスーパーのことでは決してありません、念のため)。

ショッピングカートに大量に品を積んでいるのは見ればわかるはずなのに、他のレジの方が列が短くても、なぜか私の後ろに並ぶ人がいるのです。そして、イライラを容赦なく表す方が時折おられました。中には、レジ打ちさんまでもその雰囲気に飲みこまれてしまい、パニック気味になったり、イライラを出したりすることがありました。

私はそれが申し訳なくて、なるべく人が少ない時間帯を狙ってスーパーに行ったり、空いているレジやベテランのレジ打ちさんを狙って並ぶなど、工夫をして対策しましたが、防げないことがままありました。

おまけに、ある日スーパーの店員さんが私のことを「おやつオジサン」と小声で呼んでいるのが聞こえてしまいました。これは正直聞きたくなかったです。勘違いだろうと思い込もうとしましたが、店をぐるっとまわって商品を積み終わったカートでレジの付近に到着したとき、「おやつオジサン シフト」がすでに敷かれていましたので、間違いありません。それはベテランの店員さんが、私がレジに到着するタイミングを見計らって普段は閉じているレジを一つ開けて備えるシフトでした。どうやら、トランシーバーで店員さん同士で連絡を取り合い、レジの混乱を防ぐための対策を用意したようでした。気恥ずかしいあだ名をもらったことで、認知されたことを素直に喜ぶことができませんでした(註:自虐趣味なので本当は喜んでいます)。

みなさんちょっとピンとこないかもしれませんが、同じ品のおやつを40数個購入するということは、店を選ばなければならないのです。あゆみの丘の一番近くに「〇ークワ」さんがあり、品ぞろえは豊富ですが、40数個揃えられる品となると、実はほとんどないか、あってもかなり限られるのです。在庫に余計なコストをかけたくないのでしょう、店員さんに在庫を見てもらうことも何度かしましたが、案外40数個を揃えるのは至難の業でした。

ですので、おやつ係が行くのは量販店になります。ですが、一応私は施設長ですので、本来業務を押してまでおやつに入れ込んではダメだと考え、原則「勤務時間内にはおやつの購入に行かない」ということを自らに課していました(註:職員さんは必ず「勤務扱い」にしてくださいね)。すると買い物は必然的に退勤後の夜か、公休の日になります。

帰宅時に、自宅方面の量販店に寄れたら一番いいので、近所の「〇ンディ」さんは方角、量の豊富さ、セール品の品揃えの多さから抜群でした。しかし悲しいかな、19:30閉店なのです。すんなりと仕事を終えられる日はいいですが、「蛍の光」を聴きながら小走りでカートを走らせることはざらでしたし、閉店直後で店内をのぞき込んだことも一度や二度ではありません。

近くにある「〇ークワ」さんは24時間営業なので、時間を気にする必要は全くないのですが、量が揃わないという点で、つらかったです。退勤時間と買い物の調整がうまくつかないときは、自宅で夕食を済ませてから、少し遠出をして、例えば「〇ンキホーテ泉佐野店」(22時閉店)まで足を延ばすことで凌ぎました。しかし、これも「まん延防止等重点措置」の期間は19時閉店になる店などがあり、おやつの確保はますます難しくなりました。

②について

私は施設長、それも2年前は着任1年目の身として、子どもたちの日常に関与しづらい立場でしたので、施設長と「おやつ係」を兼務することは、子どもたちとの交流の機会になるのではないかと踏んでいました。これは狙い通りで、開始直後から子どもたちは会えば「えんちょ~、次は〇〇出しテェ~」と言ってくれ、遠くに私の姿を見つけても「えんちょ~!今日のおやつなに~!?」と訊いてくれるなど、うれしいメリットがありました。子どもたちがおやつを楽しみにしていることがわかるにつれ、ある時から、おやつの週間メニューを「おやつ おしながき」と称して、下手な字ながら最高の集中力で書き、掲示板に貼り出すことを始めました。おかげで、生活棟へおもむく機会が増え、必然的に子どもたちとの交流が増えました。

ですが、これらのメリットはデメリットとセットになることが度々でした。

食事に好みがあるように、おやつにも好みがあります。チョコレートが好きという子どもがいれば、嫌いなので出さないでほしいという子どもがいます。また、スナック菓子を出せば、甘いものを出してほしいという子どもがいます。子どもたちのそれぞれの好みを、ある種、公平に調整するのは、簡単なことではありませんでした。

子どもたちの要求がエスカレートしてきて、甘えた感じの要求から、「なんで出してくれないの!」という怒りを交えた主張になることがありました。私としては、希望されたおやつは一定、公平に出すようにしていました。しかし、「その子ども」にとって、「その日のおやつ」は希望のおやつではないのです。

何よりも「ありがとう」の一言が言ってもらえない。

「ありがとう」と言ってもらいたいと思う気持ちは、私の未熟さであることはわかっています。「ありがとう」と言ってもらいたくて「おやつ係」している不純な動機があるからです。

あるいは別の見方をして、「この施設の子どもは『ありがとう』も言えないのか!」と子どもを責めたり、普段の支援のあり方や、担当の職員さんのせいにするかもしれません。このように、「ありがとう」の一言が言ってもらえないことについて、心の中で言い訳したり、ずいぶんと考えてきました。

おやつ係をはじめておよそ1年~1年数カ月が経った頃でしょうか、私のおやつセレクションに関する子どもたちの不満が減り、「ありがとう」と言ってくれる子どもが出てきました。相変わらず「次は○○出して~」と言ってはきますが、それが「自分の要求を聞いてもらえていない」というトーンではなくなりました。「〇〇がスーパーにあったら出して」と控えめに、こちらの事情を汲んで言ってくれる子どもも増えました。

この変化はおそらくこういうことだと思います。

それぞれの希望を叶えられるかぎり、できるだけ公平に叶えてきました。1年を過ぎて、希望への対応が各々の子どもにおおよそ行き渡り、「この人は時間がかかっても、希望したことを叶えてくれるな」とおぼろげな信頼になったのだと思います。そうなるまでに、ゆうに1年以上の月日が必要なのでした。

再びわが子の例で恐縮ですが、私には息子と娘がいます。私の息子はお肉が好きです。一方で娘はお肉が嫌いでお魚が好きです。困ったことに息子はお魚が嫌いなのです。ここでは「おやつ係のジレンマ」(今名付けました)と同じ構造が見てとれます。つまり、お肉を出せば息子は喜ぶが娘が嫌がり、魚を出せば娘は喜ぶが息子が嫌がる。本当に困ったものです。

ですが、2人の子どもに別々の食事を出すことは、当然行っていません。でもおおよそ公平に肉と魚を出すようにしていれば、一般家庭であれば、今日肉が出されても、そのうち魚を出してくれるだろうな、という信頼感がすでにありますので、大きな問題にならないのです。

40名規模の施設で、おやつに関する信頼が醸成されるのに、1年余かかったということでした。

写真:出没!おやつオジサン(自撮り)

ここまで大変だったという話をしましたが、ここからは私が「おやつ係」を通して得た学びと喜びをお伝えします。これもまとめると、2つです。

1⃣心の観察と訓練としての「おやつ係」

2⃣子どもたちとの共通体験

 

1⃣の学び

「情動調律」という概念があります。イライラしている人と接していると、自分も意図せずしてイライラする。その逆に、心地よい人と接していると、自分も心地良くなる。

私たちは対人援助の専門職として、前者にならず、後者になるように心がけるだけでなく、訓練をします。なぜなら不安な子どもに接して職員が不安にならないように、あるいは攻撃的になる子どもと接して職員が攻撃的にならないようにするためです。

私はレジ打ちさんによっては「迷惑な客」と捉えられることがありました。それを冷静に観察し、さらに自分がその感情に巻き込まれないように、自制をする訓練を日々の買い物で行う機会を得ました。

また、さまざまな店を利用することで、店としての雰囲気や、おそらく社員教育が行き届いている店とそうでない店があるのかな、と思い至りました。これは事業所をまとめる施設長として、貴重な学びの機会になりました。

スーパーによっては、儲けは関係ないアルバイトさんでも大量購入を迷惑がらず、律儀に感謝の言葉を述べてくれたり、中には数量を暗記して「今日も38個でよろしいですか?」など訊いてくれる熟練かつ天使なレジ打ちさんも現れました。

先述の「おやつオジサン シフト」は自虐的に書きましたが、あれだって店としての工夫です。後ろに並ぶ客を不快にさせることなく、またひとりの客である私への配慮でもあったはずです。

2年間、「おやつ係」をすることは、どれだけ忙しくても確実に数日おきにスーパーに通うことでした。19:30に帰宅できる日があったとしても、買い物をしなければならないことで、スーパーへの行き帰りと買い物の時間を合わせて、約1時間はプライベートの予定を先延ばしにせねばなりませんでした。それでわが子の夕食が遅くなってしまうことがままに生じました。親として時間管理ができておらず反省していますし、私以外の職員には絶対勤務として行ってもらいたいです。

このようにプライベートにもかなりの程度で浸食してくる任務はコミットメントを要しましたが、そうすることで「ありがとう」と自然に言ってもらえるようになりました。また、普段では気づけない些細なこころの機微やサービス職の大切な気構えを知ることができたと思っています。私たちは福祉サービス従事者ですから。

 

2⃣子どもたちとの共通体験

子どもとの交流のきっかけとなり、交流が促進されたことは上に述べた通りです。さら副産物として次のことを付け加えます。

おやつを通した子どもの意見と希望聴取が、子どもの意見表明の機会創出に相当有益だったということです。

子どもたちは、私に口頭でおやつの希望を言うことに加え、そのうち意見箱に手紙で希望のおやつを書くことをはじめました。その手紙が、おやつの話題だけではなく、日常の悩みや相談事であることが次第に増え、明らかに意見箱が活性化されました。おやつだけの些細な希望のこともあれば、おやつの話題の前後に真剣な相談が添えられていることもありました。

私はおやつへのレスポンスと同様に、子どもの相談にきちんとレスポンスすることを心がけました。おやつの希望聴取のおかげで、子ども—施設長の直通便が確かなものとなりました。図らずも、子どもの権利擁護の最重要ポイントとなる「意見表明権」に、おやつ係の役目は役立ちました。

先ほど、子どもの信頼を勝ち得るのに(おやつ係としてですが)、1年以上時間を要したと述べました。おやつ係の公平性を子どもたちが感得してくれたからだと申しましたが、他には実際に私が駐車場から厨房までおやつを運搬する姿を見て「ありがとう」と感じてくれたことがあったかもしれません。

あれこれ買ってきてという子どもに対して、私が「重いから今度手伝ってよ」と言い訳したことがありました。その子は「大人の仕事だろ!自分でやれよ!」と半ば怒った調子で返事をしました。悲しかったです。

でも、運んでいる姿を見れば、そう簡単にそういう返事はできないはずなのです。ポテトチップスを例にすると、私が1度に運べる量は1回分(43人前)で限界です。胸の前に12袋入/1箱を3箱縦に積んで抱え、その上に6個のバラ袋を載せるという仕方で、駐車場から厨房まで運んでいました。2年間のうちに、子どもたちは私のその姿をいく度か見ることになったはずです。

つまり、「ありがとう」と言ってもらえなかったのは、子どもたちと私の間で共通の生活感覚がなかったからなのです。子どもが両手に持つ買い物袋の重さを知っていれば、またスケジュールを縫って好みのおやつを買いに行く姿を見ていれば、自ずと「ありがとう」という気持ちは湧きあがります。

ですので、業者さん任せにしていると、自然に湧きあがる「ありがとう」が出てくるのは難しいのかもしれません。業者さんは、基本的に代金を受け取るためにその仕事をしているのであって、子どもたちから見ても、業者さんはお金を受け取るためにその仕事をしているからです。実際は、業者さんのこだわりや矜持はあるのでしょうが、子どもたちには一面的な姿しか見えません。なので、「お金を払っているのに、なんでありがとうと言わなければいけないの?」という境地になります。

元々、「御馳走」という言葉の本来の意味は、時間を惜しまず遠方まで走り回っておいしい食材を入手して料理を振舞うということらしいですね。おやつ係に「御馳走」は大げさですが、子どもが希望するおやつを何件も探しまわってようやく見つけた時は、子どもは「ありがとう」と言ってくれました(子どもは「〇マゾンで買えるよ」と言っていましたが、私は店頭で買うことにこだわりました)。

そう、「ありがとう」と言ってくれないのは子どものせいではなく、子どもと大人との間に共通感覚を生じさせない生活のあり方=硬直的な施設養育のせいなのでした。

 

結論

「おやつ係」は子ども支援の縮図です。施設においても一般家庭で行われるような、子どもとの共通体験と共通感覚をたくさん積み上げてほしい。

「応答性」(大人がきちんと応えること)は基本的信頼感を育むものです。ですが基本的信頼は一朝一夕で形成されるものではなく、地道な関わりと時間が必要なものです。

まだ職員になりたてのあなたが、子どもの意見と希望に真摯に耳を傾け、人や業者に任せるのではなく、自らの身体で直接的に、かつ持続的にそれらに応えてくれることを期待します。

それでいて、チームワークを行うことができる施設を、私は作りたいと考えています。

 

最後に告白。「えんちょ~、またグミ~!?」。はい、グミが出る頻度が多かったのは、実は子どものリクエストではありませんでした。たくさん噛んで、アゴを鍛えてもらうためです。

あゆみの丘の子どもたちのアゴの力は、きっと全国平均値よりもずっと上になっていることでしょう。

 

以上

 

オマケ:写真で見るおやつ係の楽しさ

⑴大きなジェンガが楽しめる

写真:おやつジェンガ Before

写真:おやつジェンガ After

 

(福)阪南福祉事業会へようこそ!

 

児童心理治療施設 あゆみの丘

施設長兼(元)おやつ係

いのうえ